『一汁一菜でよいという提案』心に余裕が生まれてきます【感想】
『一汁一菜でよいという提案』 土井善晴
土井善晴さんとは
料理研究家 1957年、大阪生まれ。スイス、フランスでフランス料理を学び、大阪「味吉兆」で修業。変化する食文化と周辺を考考察し、命を作る仕事である家庭料理の本質と、持続可能な日本らしい食をメディアを通して提案する。『おかずクッキング」「きょうの料理」講師。
私の土井さんへのイメージもテレビに出る料理研究家というイメージでした。書店で『一汁一菜でよいという提案』というタイトルを目にしたときもだだの料理レシピ本だと思っていました。
そんななか、友人からこの本に感銘を受け、気持ちが楽になったと薦めてくれました。これもせっかくなので縁だと思い読んでみることにしました。
今、なぜ一汁一菜か
この本はレシピも少し載っていますが、ほとんどは文章。家庭料理への考え方、一汁一菜とはなにか、家庭料理の楽しみ方が載っています。
一汁一菜とは、ご飯、汁物(お味噌汁)、菜(おかず)という形になります。昔はおかずがなかったのでお漬け物とかだったようです。
現代に生きる人たちは、仕事、家事、子育て、趣味ととても忙しいです。忙しさだけではなく、「子供の貧困」や「単身の高齢者」など家庭料理を取り巻く環境はとてもいいものには思えません。今、お料理をしない、できない理由はいくらでもあるのです。
私も、結婚した当初、仕事との両立でやろうと思ってできないと、理想の料理(レシピ本など)とのギャップで自分が情けなくなったりしていました。この本はそんな人たちにぜひぜひ読んでほしいと思います。
「ハレ」と「ケ」という概念
日本には「ハレ」と「ケ」という概念があります。「ハレ」は特別な状態、祭り事。「ケ」は日常です。日常の家庭料理は、いわば「ケ」の食事なのです。手間をかけないでよいそのケの料理に対してハレにはハレのの料理があります。
ハレの料理は、手間を惜しまず、手をかけて願いを込めます。(おせち料理、ひな祭りなどですね。)しかし、今の日本は、ハレのの価値観をケの食卓に持ち込み、テレビの料理番組のような献立でなければと思い頭を悩ませているのです。
私も目新しいものにとらわれてばかりのとき、夫はたまには煮物が食べたいと言われたことがあります。この本を読んで、私もハレとケが混ざってしまっていたのだと反省しました。
台所の安心は心の底にある揺るぎない平和
この本を読んで、映画『人生フルーツ』や『この世界の片隅に』を観て、作品と通じる部分が沢山あるなと気づかされました。毎日、違う料理ではなくても、作っている人の愛情は伝わるし、自分のために作ったお味噌汁が明日の自分の源になるのだと感じました。私は、外国の料理も好きです。でも、家で作るのはシンプルな家庭料理にし、外食の際、いろんな国の料理を楽しむのもいいかなと思っています。
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